緑豊かな森に囲まれる贅沢
ピアノ ベーゼンドルファーの置かれた落ち着いたクラシックな雰囲気の店内
明治屋グループならではの高級食材から
厳選された新鮮な野菜や上質な肉、魚介類をふんだんに使用した本格フレンチ
庭に広がる自然の風情と共に至福のひとときを
「音楽の都ウィーン」で生まれたベーゼンドルファー
大量生産ではなく優れた技術者たちが一台一台じかんをかけて造り出された芸術品である「ウインナー・トーン(Wiener Tone)」と呼ばれるその美しい音色は作曲家、ピアニストに愛され続けている
クリスマスマジック&ミュージックディナーショー開催
11月の定休日
5日、12日、19日、26日
11月の貸切情報
4日(月)ディナー、9日(土)ランチ、15日(金)ディナー、16日(土)ディナー
17日(日)終日 18日(月)ディナー 30日(土)ディナー
12月の定休日
3日、10日、17日、23日(月曜日)、31日
12月の貸切情報
1日(日)ランチ、2日(月)ランチ、7日(土)ランチ、12日(木)ランチ
13日(金)ディナー、14日(土)終日、15日(日)終日、16日(月)ディナー
18日(水)ディナー、19日(木)ランチ、20日(金)ディナー、21日(土)終日
22日(日)終日、24日(火)終日、25日(水)終日、26日(木)ディナー
感染予防対策について
・店舗出入口に消毒液、体温測定器の設置
・店内に空気除菌機、CO2濃度測定器設置
・HACCPの項目のもとに食品、衛生管理チェックの徹底
・スタッフのマスク着用、こまめな手洗い、消毒、換気の徹底
所在地 | 東京都港区南麻布4-1-29 広尾ガーデン1F |
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電話番号 | 03-3442-1851 |
営業時間 | ランチ 11:30~14:30(ラストオーダー) ディナー 17:00~20:30(ラストオーダー) |
定休日 | 火曜日 |
アクセス
東京メトロ日比谷線 広尾駅 1番出口徒歩1分
当店専用駐車場をご用意しております。ご利用の方は、お問い合せください。
京橋モルチェ
昭和のはじめより京橋でご愛顧いただいている老舗洋食レストラン。明治屋グループレストランとして、伝統ある洋食とキリン工場直送ビールをご提供し、昼は洋食屋、夜はビアホールと2つの顔を持つ京橋の社交場としてご活用いただけます。
150名の立食パーティが可能な広い店内には御会合に最適な個室もご用意しております。
少人数から大人数までの多様なパーティプランをご提案致します。
所在地 | 〒104-0031 東京都中央区京橋2-2-1 京橋エドグランB1F |
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電話番号 | 03-3274-3891 |
営業時間 | 11:00~21:00(L.O.20:00)(月~金) 土曜日は11:00~15:00(L.O.14:00) 日・祝日休み、土曜不定休 |
ハナレ・モルチェ
明治屋直輸入のウイスキー、ワイン、キリン樽生ビールと小皿料理をお楽しみいただけるカジュアルバー。レストラン京橋モルチェの「離れ」として食前のお待ち合わせ、軽めのお食事、食後のもう一杯など様々なシーンでご利用いただけます。
所在地 | 〒104-0031 東京都中央区京橋2-2-8明治屋ビル地下1階 |
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電話番号 | 03-3281-1357 |
営業時間 | 17:00~21:30(L.O.21:00) 土・日・祝日休み |
渡辺鎌吉と中央亭
横浜のオランダ公使館で西洋料理修行をはじめ、東京の大使館勤務になってからシーボルト兄弟に認められ、鹿鳴館に協力し華族会館の料理長となりました。
華族会館時代に鎌吉の料理は数多くの人に愛され、それらの人々の中で特に贔屓にしたのが、松方正義、桂太郎、岩崎弥之助(弥太郎の弟、兄の後を継いで三菱造船社長となる)でした。
そして、彼らは鎌吉を自分達の専属的な料理人としようと考え独立させることにしました。
当時、利用価値の低いといわれた丸の内一帯を購入した岩崎弥之助は、丸の内建設にあたり、三菱は近代的なオフィスビル街をつくりあげるために木造建築はいっさい禁じ、耐震耐火、美観も重じた建物だけをつくりあげました。松方正義、桂太郎はこの発展する丸の内の三菱ビルディングの中に鎌吉の店をつくろうと計画し岩崎弥之助に同意を求めました。
そして、明治40年(1907年)赤煉瓦づくりの三菱の八号館ができ、ここに鎌吉の店「中央亭」が開店することになりました。
中央亭の名の由来
当時、東海道線の始点は新橋でした。これを丸の内まで延長し、日本の中心となる駅を建設しようとする計画がありました。新駅は日本の中心となる駅の意味で「東京中央停車場(後の東京駅)」と名付けられることとなっており、すぐ近くにできる新駅の名にちなんで中央亭と名付けられました。
中央亭と明治屋の出会い
磯野計は明治18年(1885年)横浜に明治屋を開業。
大正4年(1915年)明治屋が中央亭の経営に乗り出しました。
明治屋は高級洋食店を経営することにより明治屋の優れた輸入食料品をより広く普及させたいと考えました。また、創業時から販売権を持っていたキリンビールを料理と共に提供する店を持つことも実現させ、中央亭の新しい歴史が始まりました。
フランス料理店モルチェ誕生
明治屋の銀座店舗が新築されたことにより1階を食料品店、2、3階にフランス料理のレストランにすることが決まりました。新しいレストラン名は「モルチェ」。
明治30年代の終わりごろから明治屋はボルドーワインの最高級品シャトー・ラフィットを輸入しており、このワインはシャトーの管理人ルイ・モルチェの名にちなんでモルチェワインと名付けられていました(現在は息子のJ.Jモルチェが後を継ぎ、ワイン名もJ.J.モルチェとなっている)。
また、明治屋はモルチェワインを明治時代から輸入販売していました。
昭和46年(1971年) モルチェ銀座店 開店
昭和52年(1977年) モルチェ広尾店が赤煉瓦造りの明治屋フードプラザの2階に開店(現在の広尾プラザ)
当時、銀座店と広尾店、両方の調理の総指揮にあたっていたのは帝国ホテルをはじめとしホテル、レストラン、フランスでも料理の腕を磨いた今井喜八郎でした。
昭和59年(1984年) 9月広尾ガーデンオープンと共に「レストラン シェ・モルチェ」開店
渡辺鎌吉が明治のはじめ、いち早く習得し、彼の弟子から弟子へと広まっていったフランス料理の伝統はこうして今もなお「レストラン シェ・モルチェ」に受け継がれています。